北茨城市大津町五浦の六角堂に行ってきました。

この日は前日からの風雨で波が高く、海は大荒れ。波しぶきで空気も白っぽい。

危険なので六角堂へ降りて行くのは見合わせるというぎりぎりのところで、なんとか見せてもらえました。係の方の「早く上がって下さい!」という誘導を受け、天心邸のある広場へあがってほっとしました。六角堂を見るというより、大しけの海に気をとられ見学もそこそこという感じでしたが、見せてもらえてよかったです。

震災で津波が襲い、天心邸前の広場まで水が来たため、六角堂は全部流されてしまいました。その後茨城大学のチームが主体となり復元。天心記念館では海の底から引き揚げた割れた瓦の一部など展示してあります。

六角堂には以前からずっと行きたいと思っていました。震災で全部流されたと言うニュースを知った時は本当に残念で、こうして復元されてやっと来ることができて、本当によかった。

たぶん高校の現代文のテスト問題だったと思いますが、『茶の本』についての評論文が出題されていて「おもしろいなあ」と思ってから岡倉天心に興味がありました。といっても本を読んだわけでもなく、天心が何をした人なのか、あまりわからないままここまできてしまいました。今回、天心記念館や天心記念五浦美術館内の岡倉天心記念室でじっくりその生涯を追うことができて、非常に興味深くおもしろかったです。

それからもう一つ、五浦まで来てみてわかったのは「天心がどうして五浦を選んだのか」。素朴な疑問でした。

六角堂までの道の途中で、二ツ島が突然目に飛び込んできた時、「この景色、絵を描く人なら絶対描きたくなる」と思いました。天心がこの五浦をすぐ気に入った理由が少しだけわかった気がしました。(ただ、天心自身は画家ではないのでほとんど絵を描いていません。美術館の天心記念室に3点ありました。天心の絵というのを初めて見ました。奥原晴湖に習っていたので、上手です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

http://www.joqr.co.jp/hodo/2013/07/post-420.html